【画像】曙太郎は病気で寝たきり・体重70kg減・意識障害で闘病していた【54歳で急逝】

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2024年4月11日、曙太郎さんが心不全で亡くなっていたことが分かりました。54歳でした。




曙太郎のプロフィール

引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/6a25ae0692cd59e158c2eccfa8c3b5c22cbe6c88
  • 名前:曙 太郎
  • 本名:チャド・ジョージ・ハヘオ・ローウェン
  • 生年月日:1969年5月8日 – 2024年4月(享年54歳)
  • 身長:204cm
  • 体重:233kg

曙太郎は病気で寝たきり、体重は70kg減、意識障害で闘病していた

曙太郎さんは、2017年4月に、心不全で意識不明の重体となり緊急入院しました。プロレス団体DDTの大牟田大会(福岡)に出場した翌日でした。

このとき、心肺機能が37分間も停止し、意識不明の重体になっていたことが明らかになりました。

引用:http://www.hachiouji-seikei.com/search/15.html

心肺停止から10分以上経過すると、救命の可能性が絶望的であることが分かります。そんな死の淵から生還した曙さんですが、病気の影響が多く残ることとなりました。

病気の影響で、210kgあった体重は140kgと、70kg減。そして、歩行は困難となり、食事も介助が必要な状態となりました。

【画像】2018年 闘病中の姿がTVで放送された

翌年2018年には、TBS系「今夜解禁!ザ・因縁」にて、闘病中の曙太郎さんの様子が放送されました。

隠喩:https://youtu.be/WUpDG6uCvro?si=qoCVwTz7rVVqXIf6
隠喩:https://youtu.be/WUpDG6uCvro?si=qoCVwTz7rVVqXIf6
隠喩:https://youtu.be/WUpDG6uCvro?si=qoCVwTz7rVVqXIf6

【画像】2019年 さらに痩せた姿で闘病生活は継続中

曙さんの知人で、ボディービルダーであるボディガーさんのXには、2019年1月5日に以下のようなポストがされました。

プロレス団体「王道」の活動は休止していた

2016年に曙太郎さんが立ち上げたプロレス団体「王道」は、2017年8月18日のポストを最後に、更新が途絶えています。

引用:https://twitter.com/oudou_akebono

ボブ・サップ対曙は紅白超えの視聴率を獲得

引用:https://diamond.jp/articles/-/342027

曙太郎さんは、2003年11月5日、日本相撲協会に退職願を提出し受理され、翌11月6日に記者会見を開き格闘技K-1参戦が発表されました。

大晦日に行われたボブ・サップとの試合は、43.0%を記録し、紅白歌合戦を超える記録となりました。

東京・荻窪にあった「曙ステーキ」は2019年に閉店

曙太郎さんは、荻窪駅前に「曙ステーキ」というステーキハウスを営業していました。しかし、2019年には閉店してしまったようです。

引用:https://tabelog.com/tokyo/A1319/A131906/13149771/

「必ずリングに戻る」と話しリハビリに尽力していた

曙太郎さんは、心不全の後遺症が残りながらも、「必ずリングに戻る」と話しリハビリに尽力していました。

「リングに上がれないから夜も眠れない。仕事に戻らないと。プロレスに」。引退の2文字はない。以前のようにスラスラとは話せないが、思いを込めてぽつりぽつりと話した。

引用:https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201803090000118.html#goog_rewarded

当初、枕から首を上げることすらできなかった状態から、自分で車椅子を動かせるまでになったといいます。

しかし、2024年4月に心不全にて、54歳にて急逝されました。

世間の声

まとめ

今回は、2024年4月に心不全で急逝された曙太郎さんについてまとめました。

2017年4月に心不全で意識不明となり、一命をとりとめたものの過酷な闘病生活・リハビリをされていたことが分かりました。

それでもなお、「リングに戻る」と話していた曙さんは、さすがは元横綱、強い方だなと感じました。

曙太郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。




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