【実体験】新生児を連れてホテル生活をした話 ~コロナ感染・警察沙汰・絶縁までの記録~

マタニティ・子育て

お久しぶりです。当ブログ管理人のChasoです。

2024年12月下旬に、第一子(男の子)を出産しました。

出産5日後に退院したのですが、想像もしていなかった出来事が次々に起きました。

内容をざっくりまとめると

  • 退院当日に実父がコロナ感染発覚し、産後の私が感染→重症化
  • 家族全員コロナで全滅、夫が感染覚悟で来る
  • 両親は咳が酷いのに不要不急の外出
  • 夫がしびれを切らして「いい加減にしてほしい」旨伝えると、実母が発狂
  • 私に襲い掛かってきたため警察を呼び、急遽息子を連れてホテルに避難

新生児を連れて、ホテルで生活するという経験はなかなかないと思います(なお、双極性障害持ち(寛解しかけていた)の私は過度のストレスにより見事に産後うつになりました)。

2ヶ月経って、やっと平穏な日々が戻ってきたので、壮絶だった新生児期について振り返ってみようと思います。

2025/07/30追記 このブログを書き始めた2月から、実に5ヶ月も記事更新できずにいました。心身ともにだいぶ回復してきたので続きをまとめます。




2日半かかったお産・大量出血・会陰切開&裂傷が痛すぎて歩けない

当ブログは2024年12月15日に、timeliszの篠塚大輝さんについての記事を書いて以降更新がストップしていました。

実は、前駆陣痛がきている最中もPCをしていました笑。

しかし、前駆陣痛と思っていた痛みは、本陣痛だったのです。

陣痛間隔が短くなっていたので一応産院に電話したら「来てください」と言われ、モニターでお腹の張りを見てもらったら

医師
医師

chasoさん、本陣痛きてますよ、入院です。

お産がなかなか進まず、2日半くらいかかっての出産でした。促進剤を使い、最後は吸引分娩でした。普通の人の倍の出血があり、会陰切開&裂傷もあり、導尿カテーテルをしてベッド安静となりました。

出産翌日から授乳やオムツ替えなど赤ちゃんのお世話が始まるのですが、とてもじゃないけど歩けない。座るのも痛い。寝ていても痛い。とにかく痛い・・・。産後がこんなに壮絶だとは思いませんでした。

退院当日に父親のコロナ感染が発覚も・・・

退院当日、両親が車で産院まで迎えにきてくれましたが、父親がゴホゴホと咳をしていました。

「どうしたの?」と聞くと、「風邪っぽいけど、トローチをなめているから大丈夫」と言われ、さすがに産後の弱った身体と新生児がいるので「風邪なら病院行ってほしいし、なんならコロナなども一応検査してほしい」と伝え、病院に行ってもらうとコロナでした。

コロナと聞いて、すぐにどこかホテル隔離してほしい旨を伝えましたが「ホテルは空いてない」と言われ、自宅隔離という形になりました。(私もホテル探してみましたが、普通に空いてるところあったので家を出たくなかっただけと思われる)

自宅隔離といっても、実家は古い集合住宅で部屋数も少なく、隔離と言える隔離はできません。

翌日、母親も咳をし始める

そして、母親も翌日くらいから咳が出始めました。このタイミングでの咳、コロナでしかない・・・

母親にも「病院行って検査や薬をもらうなどしてほしい」と伝えましたが、母親は

「私はコロナじゃない!!!!!」

と頑なに病院へ行くことを拒否。

産後の疲れた状態で言い合いする気力もなく、そのまま母はゴホゴホ咳しながら私や息子に接していました。

私(産後1週間)、コロナ感染

案の定、次の日あたりから私も喉が痛くなってきて、倦怠感も出始めました。再度、母に「お願いだから一緒に病院に行こう」と諭し、なんとか病院に行きました。

年末だったので空いている病院が限られ、かつ、コロナ検査もするということで寒い中屋外のテントで行列に並ぶことに。立っているだけでしんどく、地獄のような時間でした。

検査の結果、母親はコロナ感染、私は陰性ではありましたが抗原検査(結果が早くでるがPCRより精度が低い)でしたのでまだ陽性反応が出ていなかっただけだと思います。薬を貰って帰りました。

家族全員コロナ感染。私はどんどん症状が重くなり育児が困難に。両親は約30年育児から離れており、息子を託すわけにもいかず、本気で泣きました。。。

私(産後1週間)、コロナ重症化

産後一週間の私は、2日半に渡るお産でボロボロだったせいかコロナの症状がどんどん重くなり、40度の熱、息をするのもやっと。寝たきりで何もできなくなりました。

急遽、夫に私の実家に感染覚悟で来てもらい、息子のお世話をしてもらいました。

コロナ感染中両親の対応が酷すぎた・・・

家族全員コロナ感染。急遽、仕事納め真っ只中で忙しかった夫に来てもらいましたが、その後の両親の対応が酷すぎました・・・。

両親は咳が出ているのみで軽症だったのですが、ゲホゲホと咳をしながらもショッピングモールに行ったり、ぶらぶらと買い物に出かけたりし、家の中でも当初は寝室から極力出ずに過ごすはずだったのに、リビングでテレビを見てゲラゲラ。

そして、コロナの症状で動けない私と、来てくれた夫に出してくれた夕飯はウーバーイーツで頼んだピザ。いやいやいや病人にピザは無理すぎるだろぉw

結局、夫もコロナに感染したため、私が最低限息子のお世話ができる状態になったタイミングで帰ってもらいました。

夫、痺れを切らして私の両親に怒る

私の両親の一連の行動を見ていた夫、さすがに痺れを切らして

「いい加減にしてください。産後の人と新生児がいるんですよ。」と伝えました。

母親発狂・暴れ出す。身の危険を感じる

すると、母親が急に

キャーーーーーー!!!!

と発狂。暴れ出し、私に殴りかかってこようとしました。父親が制止したものの、狂乱化してモノを投げる、壁を殴る。産後&コロナのダブルパンチで瀕死な私は、逃げるのが難しい。新生児の赤ちゃんもいる。命の危険を感じて咄嗟に110番しました。

警察沙汰になる

15分後くらいに、実家に警察到着。

しかし、家族全員コロナということで、家の外で事情聴取となりました。

私は体調的に屋外で立って話をするのが困難だったので、電話越しに警察の方と話しました。

しかし、私は息も絶え絶え、頭もぼんやりしてまともに話すことができず。

別途事情聴取されていた母が「本当に発狂したわけじゃないんです。あれは演技です。娘の夫が怒り出したので事態を早く収束させたくて。」と嘘をベラベラと。

警察の方も、母親の発言を信じて帰ってしまいました。

母親、警察撤収後さらに発狂

警察の方が帰ったあと、母親はさらにヒートアップ。

「なんで警察なんて呼んだんだ!ぜんぶお前のせいだ!うわあああああああああ!」

と再びモノを投げる、壁を殴る。いっこうにおさまる気配なし。

新生児を連れてタクシーでホテルに避難

警察も頼れない、でももうこの家で安全に過ごすことは困難。

どうしたら良いかわからず、産院に「助けてください、もう一度入院させてもらえませんか?」と電話しましたが、断られ、年末だったので役所もどこも電話が繋がらず、

産後で身体じゅう痛くてコロナでフラフラななか、タクシーを呼んでホテルに逃げました。

タクシーで実家から逃げる際、実家の車に取り付けさせてもらったチャイルドシートを取り外して持っていこうとしたところ、父親がスペアキーを自宅から連打して車が開かず、チャイルドシートを持っていくことができませんでした。(新品の、8万円くらいしたチャイルドシート、いまだに返してもらえていません・・・)

本当に普通〜〜〜〜〜のホテルです。ウェルカムベビーの宿ではなく、とてもじゃないけど新生児のお世話をするには難しい環境となりました。(そもそも新生児は外に連れ回してはいけない)

新生児とのホテル生活は想像を絶する大変さ

新生児を連れてのホテル生活、想像を絶する大変さでした。

寝床問題

実家にいる間は、折り畳みベビーベッド(ココネルエアー)を使う予定で準備していました。しかし、タクシーで逃げる際にベビーベッドを持っていくのは諦めたため、息子をホテルのシングルベッドで寝かせることに。

沐浴問題

ベビーバスはなんとかホテルに持ち込んだのですが、ホテルのユニットバスで沐浴させるのは大変すぎました(ココネルエアーも返してもらえず、ベッド新しく買いました・・・)。

狭いし、桶もないし(洗面所のコップで代用)、水圧も弱くてなかなかお湯がたまらないし・・・。

哺乳瓶の消毒問題

私は混合育児(母乳とミルクの両方)でしたので、哺乳瓶の消毒も必要でした。

レンジで除菌できる容器をホテルに持ち込みましたが、レンジがない(笑)。

ネットで調べたジップロックにミルトンを入れる方法でしのぎました。

自分の食事問題

母乳をあげるにも、自分が栄養をとらないと・・・なのですが、ホテルでは朝食のみ提供があり、昼食と夕食はありませんでした。

また、コロナにより味覚障害・嗅覚障害が出て何を食べても全く味がせず、加えて精神的ストレスで食欲がぜんぜんわかず、無理やり食べたものの体重はどんどん落ちてしまいました。

(出産直前の体重から、急激に20kg以上も落ちて貧相な身体になってしまいました)

部屋が乾燥しすぎている問題

ホテルのお部屋がめちゃくちゃ乾燥しており、新生児にとって快適とは決していえない環境でした。

濡れたタオルを部屋中に干して、加湿していましたが全然足りていなかったと思います。

義両親が来てくれて息子の育児をしてくれた

急遽、義両親が飛行機で駆けつけてくれました。

哺乳瓶の消毒用にレンジも持ってきてくれて(ホテルの許可もとってくれた)、加湿器、その他育児グッズを色々と持ってきてくれました。

また、隣の部屋に泊まってくれて、息子のお世話をしてくれました。義母は甥っ子のお世話で赤ちゃんに慣れており、手早く沐浴や授乳をしてくれました。

ほんっっっっっっっとうに助けられました。

感謝してもしきれません。

産院からの電話より、友人・知人との電話に支えられた

産院には事情を伝えていたので心配して何度も電話をくれましたが、結局入院させてくれるわけでもなく、産後ケア施設を紹介してくれるわけでもなく、ホテルで新生児と過ごすという状況は変わらずでした。

心配してくれるのはありがたいのですが、今この瞬間に困っているわけで・・・

それよりも、友人や知人が電話をくれたことが心の支えとなりました。いまだに友人や知人とは連絡を取り合い、当時の感謝を伝えています。

2週間健診で「産後うつ」と診断

産院にて、2週間健診を行いました。私が心身ともにボロボロで、ホテルに滞在しているということで、別途カウンセリング?的なものも受けさせられました。

カルテには「産後うつ」と書かれていました。

ホテルを出て自宅に帰ることを決断

医師・助産師さんたちと話し合って、「これ以上新生児をホテルに滞在させることはよくない。かといって100km以上離れた自宅まで車で移動するのも良くないが、今の状況的には後者のほうがマシ」ということで、自宅に帰ることになりました。

チャイルドシートは、義両親が新しく購入してくれました。本当に感謝しかない。。。

生後2週間、やっと平穏な自宅での育児がスタートしました。

心療内科・産後ケア・行政をフル活用した

私は「産後うつ」と診断され、心療内科の通院、薬を服用することになりました。

母乳育児に影響のない薬を処方してもらいました。

自分では産後うつという感覚がよくわからなかったのですが

  • ふとしたときに涙が出て止まらなくなる(過呼吸っぽくなる)
  • 心臓がバクバクして眠れない
  • 頭が回らない、虚無になる

などの症状がありました。今振り返れば完全にヤバい状況だったのは分かるのですが、当時は何がなんだか、生きている心地がしませんでした。

まず、区役所に連絡をしたところ、保健師さんや助産師さんが自宅に来て話を聞いてくれ、産後ケアなどの案内をしてくれました。

連絡をしないでと言ったのに、LINEが何度も来る

両親には「しばらく連絡してこないでください」と伝えたのに、兄弟を含めた家族のグループLINEに何度も連絡がきます。

そこには「私は足首を痛めました」「最近お腹の調子が悪い」など、遠回しに「自分たちも色々ダメージ受けてます」と言いたげな内容が。

LINEが来るたび、動悸がして、胸のあたりがザワザワ、一気に気持ちが落ち込んだり涙が止まらなくなったりとしんどかったです。

それでも「育ててくれた実の親」という思いがあった

そんななかでも、両親に対して「育ててくれた」という思いがありました。

こんな壮絶な出来事を経ても、わたしは両親という存在を完全に消すことはできず、育ててくれた感謝の気持ちや今までの思い出などがよみがえり、感情がぐっちゃぐちゃ。

産後の一連の出来事は一生許せないけど、絶縁するという踏ん切りがつきませんでした。

父親から直筆の手紙が来る

それから少しして、父親から直筆の手紙が来ました。

お母さんは最近体調不良を訴えており、持病の再発が心配されます。連絡をしないでと言われたのは分かっていますが、こういう状況なので連絡しました。

という内容でした。

母親の持病は心配ではあります。

・・・が、私のことを心配するような言葉や、謝罪の言葉などは一切なし。

自分たちのことしか考えていないのかな・・・孫さえ見れればそれでいいのかな・・・と悲しくなりました。

両親との絶縁

兄弟から「⚫︎⚫︎(私)が悪い。謝るべき」といっていると又聞きした

父親からそのような手紙をもらい、夫にも共有し、「もう少し、私の体調が落ち着いたら話し合おうか」と言っていたさなか、

兄弟から、

「子供なんだから⚫︎⚫︎(私)が謝るべきだ」

と、私に関する悪口を色々と聞いたと又聞きしました。

これで絶縁をする決断がやっとついた

兄弟から、両親の本心を聞いたことで、両親と絶縁する決断がやっとつきました。

結局、自分たちのことしか考えていない。

なぜか私が悪いことになっている。謝罪の気持ちもないようだ。

もう無理だ。

家族のグループLINEを退会し、LINEは全てブロックしました。

両親と絶縁した今

両親と絶縁した今、もちろん連絡はこなくなり、穏やかな日々を過ごしています。

兄弟から両親のことを聞く機会がありましたが、親戚には今回の一件については何も話していないようです。世間体を気にする両親ですから、まあ話さないだろうなとは思っていましたが、このままでは親戚のあいだで、私が出産後になんの音沙汰もない謎の状態だということになってしまいます。

別にいいけど、どこまでも自己防衛するんだな・・・と虚しい気持ちになりました。

とともに、絶縁してよかったと思っています。

本件を通して

本件を通して思ったことは、

  • 里帰り出産をするかどうかは、慎重に決めるべき
  • 産後に頼れる先を調べておいた方が良い
  • 「育ててくれた両親」という固執を捨て、今ある家族を大事にする

私は社会人になったタイミングで実家を出ており、実家に長く滞在するのはもう10年以上ぶりでした。泊まりがけで長い期間帰省することはなかったので、両親との考え方や感覚の違いが大きくなっていることに気付きませんでした。

また、このような状況になったのが年末年始だったのでどこも空いていなくて本当に焦りました。産前から、産後ケアや頼れる先(親戚や知人など)などを調べておくと安心です。わからなければ行政に相談してみるのもおすすめです。行政って事務的な対応をされるイメージを持っている方も多いかと思いますが、意外と親身に対応してくれます(私の地域では、ですが・・・)。

そして、「育ててくれた両親」という固執を捨てること。これが一番難しかったですが、息子や夫という今ある家族を大切にすること。私自身が元気で穏やかでいることが大事だなと思いました。

さいごに

私は産後すぐにコロナに罹患し、産後うつになり、寛解しかけていた双極性障害が悪化して今も心療内科に通っています。頻度は減りましたが、今でもたまに心がザワザワしたり涙が出ることもあります。

でも、両親との関係を断ち切ってからは気持ちが楽になり、穏やかに過ごせるようになってきました。

もしこの記事を読んで「これって自分のこと?」と思った私の親へ。

待ちに待った我が子の貴重な新生児期に、心身ともに辛い思いをしたことは到底許せることではない。「私が謝るべき」という考えも理解できないのでもう会うことはないです。

里帰り中で親との関係に悩んでいる方、親との絶縁を考えている方などがいらっしゃいましたら、話を聞くことしかできませんが、気軽に問い合わせいただければと思います。




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