夕方のニュース番組を見ていると、少なくとも月に一度は「スーパーアキダイ」が取り上げられ、野菜や卵などの価格がどうなっているかインタビューを受ける姿を目にします。
最初は何も思わずボーっと見ていたのですが、都内に沢山のスーパーがあるなか、テレビで取り上げるのはアキダイばかり。
そして、社長の秋葉弘道さんも取材に慣れたような雰囲気で、これまでにも相当数の取材を受けてきたことが想像できます。
そこで、本記事では
- スーパーアキダイの社長・秋葉弘道さんの経歴まとめ
- なぜスーパーアキダイばかりテレビの取材を受けているのか?
上記について、調査してみたいと思います。
なぜスーパーアキダイばかりテレビの取材を受けているのか?
東京都内には、マルエツ、オーケー、ライフなど、あらゆるスーパーマーケットが存在します。
そのなかで、夕方の情報番組に出てくるのはどのテレビ局もアキダイばかり。
なぜこんなにもアキダイばかり取材されているのか、理由を調べてみました。
【理由1】どんなに忙しくても、当日のアポでも対応するから
スーパーアキダイでは、秋葉社長自ら店頭に出て野菜を販売しています。日々の業務だけでも忙しいなか、どんなに忙しくても、当日いきなり取材依頼が来ても、対応するそうです。
通常、テレビ取材のアポ取りは、いきなり電話をして二つ返事でOKをもらうことは難しく、
- 自分が誰なのか
- 取材をする目的
- どのように取材をしたいのか
- 何月何日に取材をしたいのか
- テレビでは取材した様子がどのように放送されるのか
などを詳しく伝え、店舗責任者や本社広報などに承諾を得る必要があります。
いっぽう、スーパーアキダイでは、当日アポが来ても取材を受けてくれるため、多いときには1日に複数件の取材が入り、テレビ各局のクルーが店の前で順番待ちをしていることもあるそう。
【理由2】秋葉社長の知識量・トークスキルの高さ
秋葉社長は、皆さんご存知の通り、テレビの取材に対してスラスラと、そして明るく元気に的確なコメントをしています。
秋葉社長ご本人も、
自ら仕入れや販売をするので、生産地の状況や相場感から消費者の気持ちまで、何でもコメントできるのも重宝がられる理由ではないでしょうか。
引用:https://www.nerimakanko.jp/review/detail.php?article_id=SPE0000172
と話しています。
幅広い視点から、八百屋に関するあれこれを話すことができることと、持ち前の明るいキャラクターから、テレビ局にとっては「秋葉社長に取材すれば間違いない」という信頼があるのでしょう。
【理由3】ノーギャラで取材を受けているから
スーパーアキダイがテレビ局から多く取材を依頼されている理由として、すべての取材をノーギャラで受けていることが挙げられます。
こちらの記事によると、
10分〜30分のテレビの収録取材やVTR出演:1万円〜3万円
と記載がありました。ただ、短い時間の撮影やインタビュー時は、ギャラが発生しない場合もあるようです。ただでさえ忙しいなか、ギャラが発生しないなら取材を断るというお店もあるのではないでしょうか?
しかし、秋葉社長は、全ての取材をノーギャラで受けています。この理由として秋葉社長は、
メディアを通じて、そうした“青果業界の今”を伝えるのは自分の使命だと思っています。だからすべてノーギャラで受けているんですよ
引用:https://www.nerimakanko.jp/review/detail.php?article_id=SPE0000172
自分や自分の店の利益のためではなく、青果業界のことを多くの方に知ってもらうために取材を受けていると話しています。
本当に、心から青果業界に熱を注いでいて、それをより多くの人に伝えようという姿勢が素晴らしいですね!
アキダイ社長・秋葉弘道の経歴まとめ
- 名前:秋葉 弘道(あきば ひろみち)
- 生年月日:1968年(現在55-56歳)
- 東京都生まれ、埼玉県入間郡三芳町育ち
幼少期は貧しい家庭だった
アキダイ社長・秋葉弘道さんは東京都で生まれ、すぐに埼玉県の三芳町に引っ越しました。
秋葉社長には2つ下と8つ下に、妹さんが2人います。
幼少時代は貧しい家庭だったようで、
「うちは貧しかったですね。着るものも、全部いとこのおさがりだったし、運動靴も破けちゃって、晴れの日も長靴で学校に行ってました。だけど子どもだから、貧乏とか気にしなかったな」
引用:https://news.line.me/detail/oa-shujoprime/bf45672421a4
貧しい生活ながらも、それを気にすることなく前向きに過ごしていたんですね。
高1で青果店でアルバイトを始め、「八百屋の天才少年」と呼ばれる
秋葉社長は高校1年生から青果店でアルバイトを始めました。
なんと、テレビでは陽気に話す姿からは意外なことに、幼少期は極度の口下手だったそうです。それを克服する一貫として、青果店でアルバイトをすることに決めたそうです。
秋葉社長はすぐに才能が開花、「八百屋の天才少年」と呼ばれるようになります。セールストークが売れ行きに直結する面白さに目覚め、自らセールストークを考えるようになり、1日に130箱の桃を売ったこともあるそうです。
一度は大手メーカーに就職するも、八百屋の仕事が忘れられず・・・
秋葉社長は高校卒業後、家計を助けるために計測制御機器の大手メーカーに就職しました。
しかし、どうしても八百屋の仕事が忘れられず、1年余りで退職し、アルバイトをしていた青果店で正社員として働き始めました。
毎朝5時半に家を出て、仕入れから販売までの一連の流れを体に叩き込みました。先輩たちが朝食をとっている時間には、秋葉社長は仲卸業者さんなどから青果の目利きを教えてもらい、
天候や生産地の状況を踏まえて価格交渉する力も身に付けていきました。
22歳のときに結婚・店長に昇格「数十年にひとりの逸材」と言われる
1990年、青果店に正社員として務めて3年後、22歳のときには店長に昇格しました。
また、この頃結婚もされています。
出会いは「千葉の海でのナンパ」
奥様との出会いは、男友達と行った千葉の海でのナンパだそうです。
ベンチに座っていたかわいい女の子に一目惚れした秋葉社長は、「夜にみんなで花火をやろう」と誘いました。
それから、4年の交際を経て、結婚。
子供は2人で、双子の女の子
秋葉社長にはお子さんが2人いらっしゃいます。なんと双子の女の子(写真右の2人)!
1995年生まれ(現在28-29歳)で、一人は由加里さんといい、2020年には由加里さんのもとに初孫が生まれています。
秋葉社長、お孫さんがいらっしゃるんですね!
その後青果店をあっさり退職、別の仕事に就く
若くして青果店の店長となった秋葉社長ですが、その後すぐに転職しています。
理由は、
「まだ若かったから、別の仕事をやって、確かめたかったんです。自分が一生をかけて八百屋をやりたいのか。独立したら、もう後戻りできないですから」
引用:https://news.line.me/detail/oa-shujoprime/bf45672421a4
自分が独立する前に、本当に自分が八百屋をずっとやっていきたいのか、考えるために転職されたようです。
1992年、スーパーアキダイを創業
1992年、秋葉社長が24歳のときに「スーパーアキダイ」を東京都練馬区関町に創業しました。
なぜ、縁もゆかりもない練馬区関町にお店をオープンしたかというと、
どこの馬の骨かもわからない若者に貸してくれる人はいませんでした
引用:https://www.nerimakanko.jp/review/detail.php?article_id=SPE0000172
という理由でテナント探しに難航していたなか、練馬区関町でテナント募集をしていた大家さんが、秋葉社長の娘さんと同い年ということで、応援する気持ちを込めて貸してくれたそうです。
最初は、駅から遠いということでなかなかお客さんが集まりませんでした。しかし、前を通るバスに「大根10円」などと書いた段ボールを見せるなどあらゆる工夫をしてお客さんを徐々に増やしていきました。
アキダイは年商40億円以上のグループに成長
そして、アキダイは関町本店、中村橋店のほか杉並区、世田谷区、松戸市、府中市にも店舗を拡大し、全12店舗の従業員数200名以上、年商40億円以上のグループへと成長しました。
2023年、アキダイの全株式をロピアを展開するグループへ譲渡
2023年、秋葉社長は、自らが持つ株式会社アキダイの全株式を「ロピア」を運営するOICグループに譲渡しました。
これに対し、秋葉社長は
23歳で自分の店を持ったときから、「50歳になったら仕事をやめよう」と思っていたんです。それまでに人一倍、一生分を全部働いてしまおうと。
引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/96054cdc10aac32ab28a28b4e096c940d6453f64
とコメントしています。
OICグループの髙木勇輔社長には、「アキダイはアキダイのままでいいのでうちに来ませんか」と言われたそうで、既存店舗はそのままで従業員を異動させないといった条件を全て受け入れてもらい、ほんの15分で話がまとまりました。
上記の理由から、ロピアを運営するOICグループの傘下に入っても、アキダイはアキダイのまま営業を続けています。アキダイの従業員も、「もしいつか社長がいなくなったらどうなるんだろう?」という不安が解消され、事業承継をして良かったと秋葉社長は語りました。
まとめ
今回は、テレビの情報番組などでお馴染み「スーパーアキダイ」がなぜ沢山の取材を受けているのか、また、社長の秋葉弘道さんの経歴についてまとめました。
高校生のときに青果店でアルバイトを始め、すぐに才能が開花し、22歳のときには青果店の店長を務め、その後まもなく独立し「スーパーアキダイ」を長年経営してきた秋葉社長。
本当に八百屋という仕事が好きで、青果業界の今を世間に伝えるために多くの取材をノーギャラで受けていることが分かりました。今後も、テレビで元気な姿を見られることを楽しみにしています!